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去年の日記がはてなブログから送られてきた。なんだか、去年の私は一生懸命だったけど、今年よりは緊張していたようだった。今年になって始めたことはたくさんあるけど、今の私は出来ること、出来ないことが去年よりは分かって、自分の人生で時間を割くということの限界も分かって、よく眠って、働く時はしゃかりきに働いて、少し楽に息継ぎをできるようになったのかもしれない。去年のこの日は、大したことを書いてなかったけど、その分、その時の感情が良い意味で蘇ってきた、肩の力を抜いて、過去の自分を受け入れられた。いつも、過去の自分のことも、過去の自分を覚えている人の記憶も、消し去ってしまいたいと思っていた。過去の抜け殻は、今の私ではないと思いたかった。最初も悪いものじゃない。

 

足跡の日。測定の日。直感とか論理的とか、そんなの時と場所によって移り変わるじゃんね。行くとこまで行きたい日。誰にも会いたくない家にもいたくないどこにもいたくない眠って全てが過ぎ去ってほしい、今日みたいな日があれば他は何もいらないって思える日。結局はこういうことをしてるのが好きなんだよなって思える日。薬局巡りや日用品購入で終わる日。なんか人生で洗濯ばかりしてんなって思う日。日が落ちて、朝になって、外に出たくないけど、出たら回る日、やったらなんでこんなことやれなかったんだ?と思ったり、やれないけど進められることを灯火に進む日。全部あって、無駄だと思う日もあって、でも過ごしてきた日、これからも少しずつ進む、日。

うたかたな呟き

母との関係の普遍性。母の矛盾を見ることで自分が個人として剥かれる感覚。

 

薬の終わりがけは、自転車から手が離される瞬間みたい。

 

焦りの、いなしかた。

 

追われてもいないのに、追われているような素振りをする日もある。大いにある。

 

自分がもう一人いる、というか、空間に今ある物体としての自分。

 

 

 

19743

日記を開いたら、この数字が出ていた。おそらく何かのパスワードなんだろう。小さな事から大きな事まで日常に飲まれていく。「今ここ」をどう過ごすか、「今ここ」でしかない自分の小ささを受け入れつつ、たまに自由になるような日々。たまに訪れるからこそ、自由を持て余してしまう。バタバタバタ、のリズムの息苦しさ、心地よさ、遠くにある「ほっ」を求めるのに、実際に「ほっ」を味わえるのは、色々なことが一旦落ち着いた、その日だけ。

コスパや意味から逃れるには、5年以内の未来に求めるものが多すぎる。バタバタバタ、のリズムに自分の意思でやりたいことをねじ込むことが、この資本社会で自分らしく生きることなのだろう。生き延びること、眠ること、自分を喜ばせること、自分を知的に興奮させること、他者に喜んでもらうこと、きちんと生活を立てること、その全てが、欲しい。

今日のことは書けない

ずいぶん久しぶりに日記を開いた。それには色々理由があるけど、一番はここを書く前に書かなくちゃいけない物がたくさんあったからだ。出版社のバイトに10社以上落ちた後、色々な人に相談し、ようやく書き物のバイトにありつけた。それで食えるわけでもないけど、やりたいこととほとんど関係のない仕事に時間を最も割くよりは全然マシ。
 学業、頼まれごと、期限が決まっている自分がやりたいもの、気づけば目の前には、いくらでもやるべきことがある。毎日なにかしらをやっつけ、取りこぼしたものを拾って、帳尻を合わせる。その慌ただしさは、増えることはあっても減ることはないのだと思う。

 手を動かすと、それに応じた結果が出る。今までやったことのないことをどんどん任され、突貫工事で片付けては修正する。勘所が分かるまでやる。ルーティンをこなしていると、あるタイミングで、苦手なことの中からこれは出来るというポイントがいくつも見つかることがある。それが自信になる。だから、まだ続けてみる。

 

 並行して、自分がやりたくてやっている書き物の締め切りがあった。半年ほど取り組んでいたそれは、修正も含めて180p書いたことになる。だけど、最後の出来に納得がいった訳じゃない。「近づいてる」「前より、何か違うやり方を作ろうとしている」という感覚だけを頼りに、とにかく書き終えた、というのが現状だ。
 その書き物について相談していた時、恩師は「人は、一昨日になったことは書ける。でも、今日のことや現在進行形のことは書けない」と言った。時間が解決しないなら、いつ、人は物事を過去として受け入れるんだろう。とりあえず次書くものは、自分から離れたものから、あくまで意識的に構築したい。
 ただただ、面白いものを描きたい。しかし、その面白さには、必ずしも身を切るような切実さはいらない。人を楽しませる為に、自分が今どういう文章を書いているのか客観的に理解する能力を持ちたい。パズルのように、一つ一つのブロックをどう扱うのか、手綱を握るということを頑張ろうと思う。

休日

恩師に誘われて、『どん底』を見に行く。
https://t-toen.com/stage/168.html

帰り道、仕事の相談を恩師にする。やれることをやっていく。自力で見つからないのなら、出来るだけ役に立つ仕事を得る為なら、恥や遠慮はいらない。帰り道、恩師と別れて、池袋を散歩する。池袋には、少し慣れた。ほとんど誰のことも知らない東京の街が、私は好きだ。

他者を理解したいと思う。でも、100%は分からない。
なぜなら、私が見ている他者はどこまでいっても私の解釈でしかないからだ。
私の中の他者は、本人が認識している自己ともまた乖離する。
他者はこの世界に存在しているが、自己があって、初めて相互に他者として成り立つ。水面のように色々な感覚を反射させて、私の内を彩っていきたい。解釈と個体の隙間で、互いに重なった感情があることが、私たちを繋げている。
この話は、まだ寝かした方がいい。また、書くと思う。

 

◯いいこと
三軒茶屋駅で、美味しい韓国料理屋を当てた。
三軒茶屋駅で、煙草が吸える可愛い喫茶店を見つけた。
・少なくとも、現状より好ましいと思える方向を自分で選んだ。

 

落ち着いて!さあこの手を取って!

 一日中、図書館にいた。微々たる成果だが、以前よりは輪郭がスッキリしてきた書類を見て、少し情緒が安定した。

 最近、夜が涼しくなったのは嬉しいが朝7時以降は暑く、目覚めが少々不快。まだ冷房をつけた方がいいのか、日によって、耐えられる暑さの夜、罪悪感にかられながら朝まで冷房をつけたり、気温に耐えて朝方の気温差にうんざりしたりしながら過ごしている。

 生活とやりたいことの狭間で右往左往するのは、これからも続きそうだ。アルバイトをどうしようかと、最近ふと考える。今のアルバイトは、無理がない。とにかく無理がない。しかし、自分がやりたい事からは徐々に離れている。せっかく時間を使うなら、何か糧になりそうなアルバイトをしたい。

 お腹減ったなあ。家に帰ったら、うどんを作って食べる。最近は、外食が増えてるから今日も家で食べる。食事をおろそかにすると、途端に活力が減ってくるので、そこそこ頑張りたい。明日も、同じ目的に向かって、色々考えたり、本を読んだりする。正直、それだけで満たされる。そうなりたい。

 うまくいかなくても、その場に足を運んで書き進んでいけば、何かの頼りが出来て、いつか出来上がるというのは、私にとって、まあまあの希望だ。そういえば、昨日、シャイニングを見た。孤独な雪山のホテルで執筆する作家が、気が狂っていく過程で、部屋の中でボールを投げ続けて執筆の現実逃避や、話しかけてくる妻を神経質に遠ざけたりする動作があまりに心当たりがあったので、そこだけ気を付ける。どうなっていくんだろう、大丈夫なんだろうか、という不安に苛まれつつ、それに自分で自分に共感する。

悲喜こもごもの自家発電。明日も続く。

お馴染みの道

 夏休みが終わった。今の勤務先は夏休みが繁忙期なので、平常のスケジュールに安堵している。しばらくぶりに、余白が出来た。

 考えることはいろいろあるけど、今日は、自分なりに悪くない日だったんじゃないかと思えた。普段と比べて、特に変わったことはしていないし、意味のあることもしていないが、焦っている時間が少なかった。数は多くないが、自分のしたい事をした。やるべき事の為に、きちんとその場に足を運べた。そんな小さな約束を守れたことがほんのりと嬉しかったんだと思う。

 考えようと考えまいと、時間は過ぎる。流れに押し流されるように、何かへと進んでいく。無理やり足を進めれば負荷がかかる。だからといって、流れに任せるだけではない。私は方向
を選ぶ。進路は少しずつ変わり、流れ、進んでいく。

 荒れる進路を知っているのに、その進路に真っ向から突っ込んでいく事を、なぜか人はやってしまう。それ以外の方向を選んだとて、それとて正解ではないかもしれない。でも、最悪のルートを何度も繰り返す必要は無いんだと知れば、少なくとも一つの災厄は避けられる。その事だけで、まずは、良しとする。