シスターフッド

 映画を見に行った。「緑の夜」と「ソウルメイト」の二本立て上映。シスターフッドをキーワードにしたアジア映画特集と言ってもいいラインナップ。  
 面白かったけど、どちらも女性が死ぬ展開だ。物語において死は大きな劇的要素だけど、女性たちの逃避行の終着地が「死」ではない映画を見たいと思う。そういった意味で、「ソウルメイト」は、片割れの「死」の旅路にもう一人が大きな花を飾るような、いいラストだった。
 シスターフッド映画において、男性は二人の女性の関係を強固にする添え物でしかない。無自覚であれ故意であれ、男性の暴力性が女性たちの関係性に巻き込まれるという見方もできる。仮に、男性を巡った対立であっても、主軸は男性ではないのだ。今、ここにいるあんたとあたしの話が一番大事で、男性は実は二の次だ。それでいいのだと思う。テルマ&ルイーズ」のその先を、私は見たい。

 

 二本立てで疲労した後、同級生二人と並んで歩いた。思ったより目黒は大衆的だ。昼食を食べようとしたらラーメン屋と中華料理屋ばかりが並んでいて、目黒という言葉から連想したイメージとの違いに、ひとしきり笑った。
 どうやら、私たちが考えている目黒という街は、中目黒を指しているらしい。調べてみると、中目黒は意外と遠かった。今度は中目黒でお洒落なものを食べようと話す。想像する目黒に近い店を見つけると、「目黒っぽい」と口々に言い合う。

 

 一人と別れて、残った二人で池袋を歩く。実はあまり話した事の無い子だった。路上で酒盛りをする老人、ほぼ顔の高さで飛ぶ虫の群れ。駅から少し離れた公園は、過剰に綺麗なのにドブの匂いがする東京の中で、隠す気のない無秩序さを残していた。1時間以上は居たくないけど、落ち着いた。その子とは本当に他愛のない話ばかりをしたけど、真面目さと全てに混ざりきれない自由さがある小話がぽつぽつと出てきて、自然と話は繋がっていく。
 沈黙をこわがっていたのは私だけで、ぽつぽつでも、その子との時間は現れる。人との関わりが楽しくなるかどうかは、話が面白かったり、自分が知らない世界を教えてくれたり、その人と何をするかとかではない。むしろ、その人との関係性によって出来た時間が存在したと思えるかどうかという事にあるのかもしれない。

 

その子は、アップルパイを食べたのにその足でタピオカを買いに行った。最寄り駅に着いた私は、餃子を二皿食べた。