ドラマ版『デカローグ5・6』

 ドラマ版『デカローグ5・6』を見た。 クシシュトフ・キェシロフスキが監督した10遍の連作から成る『デカローグ』の舞台版は、現在新国立劇場で上演中だ。上演を見に行くべく手に取ったが、どちらも面白かった。特に、5話「ある殺人に関するフィルム」は映画的な筋の運びと表現も相まって、舞台化する狙いはなんなのかと興味を惹かれた。

 

タクシー運転手を殺害してしまった青年を、死刑反対を訴える若い弁護士は弁護する。しかし、それも虚しく死刑は執行されてしまう。レンズにかけられた緑色のフィルターは、行き場のない閉塞感を常に画面内に漂わせていた。終盤に訪れる弁護士と青年の会話シーンを除いて、本作は最小限度の言葉で画面を展開させていく。演劇は、台詞そのものが物語を進めていく。映画は、極端に言えば画面とモンタージュがあれば物語自体は構成立てられていく。そういった差異がある。だからこそ、どのように舞台として成り立つのかを、見に行きたい。

 

 今日は一日中曇り。基本的に寝る時間があまりに早いので、よく寝たなあと目覚めても朝7時だったりする事がよくあるのだが、今日は10時を差していたのでびっくりした。昨日、友人と長電話をしてから眠ったので、眠るのが遅くなったからだ。最近、というか転居してからずっと気持ちが急いていることは分かっていた。起きるのが遅くなったことにかこつけて、今日はこれ幸いとゆったり過ごすことにする。

 

洗濯物を2回回しながら、「月曜から夜ふかし」を見る。何も考えずに見れる番組は希少。私はアニメもバラエティもよく見る。家で映画を見るのって、集中を保てる環境と自分のコンディションを整える事が結構難しい。映画館のチケット代は、集中する為の場所代なのだと思うし、映画館はこれからもっと「体験」を価値としていくのだと思う。