酔っている

 月一の通院。毎回、「安定してますね」と言われて5秒で終わる診療。長い待ち時間。確かに薬が貰えればいいんだけど、居心地が悪い。以前の病院は高校生から通っていたので、主治医が変わったことも影響しているのかもしれない。


 どこまでもいっても、半端なマイノリティでいることは変わらない。支援を受けるにしてもどこか後ろめたく、受けられるものを受けないのも、なんとなく損をした気になる。辛さの比べ合いからは降りたい。私が投薬をしなければ、2日ほどすると社会生活を送る人間としては使い物にならなくなる。投薬を必要になる時点で、通院する必要はある。
 どっちつかずな自分。どちらにも混ざれない自分。どの問題に対しても、完全なる当事者ではなく、マジョリティでもない。

 

 受診後、疲れたので日高屋で晩酌を済ます。地元では見たことがなかったが、ここには至る所にある。安価でよく酔える酒を出すと思った。
AV女優の社会学 増補新版:なぜ彼女たちは自らを饒舌に語るのか』を読む。まだ序盤だが面白い。メディアで語られやすい<水商売で身を持ち崩していく悲劇的な女性>というステレオタイプにも、無意識にその考えを踏襲していることにも、私自身、言い表せない違和感があった。完全な自由意志として解放的に語るわけでもなく、過度な自己卑下でもない、売春への曖昧な線引きの先にあるAV女優という選択。その事を断罪せずに、捉える語り口に引き込まれる。
 通院の待ち時間では、オウム真理教信者の取材ルポ『約束された場所で』を読んでいた。よくわからないちゃんぽんだなと、ぼんやり思ったが、自由意志という言葉では共通しうるのかもしれない。

 

 酩酊していると、思考は太い線になる。それ故に、言葉は語りやすくなる。しかし、その語りに妥当性があるかどうかは疑わしい。感情だけが真実だ。

 

メモ:
自由意志
自分の考えを疑うことを促す話法について
自分の思考・欲望を自ら抑圧すること
何かに自己を全的に委ねること