思いつき

 友人と会う。地元の友人に会う機会が減った今、連絡手段はあるにせよ、会おうと思ったら会える距離に見知った人がいるのはありがたい。今までの私を知る人と会うのは、どこか気恥ずかしい。それでもずっと友人が私に会い続けてくれているという事は、存在の肯定そのもののように思う。そういった事が重なって、私は私を保てている。

 

 メールを見ると、給付型奨学金不採用通知が届いていた。ゴミ箱に本文を移す。不採用通知は、いつも簡素で呆気ない。どれだけ坦々と行動を進めても、相対評価で全てが決まる。やはり一度は、ぶつくさこねる。睡眠時間が減ると分かっても、誰も見ていない日記に、罵詈雑言を書き連ねる。最初から分かっていたけれど、明瞭に説明できるほど私は私の関心を理解していなかったという現実だけが残る。結局、自分の能力が歯痒い。

 

 くさくさしていたら、10時を過ぎていた。思い立って、新国立劇場に「デカローグ5・6」を見にいく。小川絵里子演出の「デカローグ5」は、舞台美術を生かしきる理知的な演出が光っていた。団地をモチーフに、シンプルな枠によって組み立てられた舞台美術は、実に機能的で、さりげない計算の元、枠の内外で俳優が移動する。枠に入る・出る・枠の前を通るといった行動によって、映画のカットを舞台上に構築していた。映画を舞台に転化させる方法として、一つの明快な回答が、この舞台美術と配置から見出せるだろう。

 気が向いたので、終演後、初台から新宿まで歩く。風が強い。首都高沿いだからか一般道が国道のような音を立てている。散歩というにはやや落ち着かない気持ちで歩く。東京は、建物が高いのか道が狭いのか、または両方かは分からないが、空が狭い。空が、ひしめき合う建物の隙間の形をしているからかもしれない。そして、また新宿駅で迷う。新宿駅から一発で帰れた事は一度もない。上京前に迷った時に遭遇した地上にある地下広場に再会して、1年前がふと懐かしくなる。歩き疲れた。

 

 天気予報を見る。来週は雨が降り続ける。少し早いサイクルだけど、洗濯をした方がいいかもしれない。きっと梅雨入りだ。6月は、ベトナム料理を作ってみたい。